『4泊5日鹿児島の旅+α』Part13 ― 2011/06/01 00:12
m(_ _)m
3月のネタを今書いているこの事実に...誠に申し訳ありません。
前回お知らせしたドラマのために、
大量の曲を短い時間で制作しなくてはならず、作業に没頭しておりました。
んで、前々回の続きとなる訳ですが...
彼らから聞いて思い出したのですが、
僕は小学校の卒業式には出ていなかったのです。
たぶん東京に戻る都合上、早め戸畑を引き払う必要があったのでしょう。
また、尾辻には東京に戻ることを言ったのは覚えていましたが、
他の皆にはなぜか言っておらず、彼らは後から知ったそうです。
たぶん...僕自身が担任の先生に口止めをしたのでしょう。
急に自分だけが、それまで生きていた世界から切り離されるのが辛く、
そっと皆の前からいなくなってしまいたい...と思うぐらい、
当時の僕にはショックだったのでしょう。
結局、こうした半ば彼らと再会するまで忘れかけていた
38年前の強い思いが、戸畑に対する望郷として、
僕の心の中に今の今まで生き続けていたのだと、
今回はっきりわかりました。
そして同時に、牧山小学校の卒業式が”本当の意味”で終わりました。
しかし、まさかこのわずか3日後に、
この日本がとんでもないことになろうとは...
この時には知る由もありませんでした。
3月のネタを今書いているこの事実に...誠に申し訳ありません。
前回お知らせしたドラマのために、
大量の曲を短い時間で制作しなくてはならず、作業に没頭しておりました。
んで、前々回の続きとなる訳ですが...
彼らから聞いて思い出したのですが、
僕は小学校の卒業式には出ていなかったのです。
たぶん東京に戻る都合上、早め戸畑を引き払う必要があったのでしょう。
また、尾辻には東京に戻ることを言ったのは覚えていましたが、
他の皆にはなぜか言っておらず、彼らは後から知ったそうです。
たぶん...僕自身が担任の先生に口止めをしたのでしょう。
急に自分だけが、それまで生きていた世界から切り離されるのが辛く、
そっと皆の前からいなくなってしまいたい...と思うぐらい、
当時の僕にはショックだったのでしょう。
結局、こうした半ば彼らと再会するまで忘れかけていた
38年前の強い思いが、戸畑に対する望郷として、
僕の心の中に今の今まで生き続けていたのだと、
今回はっきりわかりました。
そして同時に、牧山小学校の卒業式が”本当の意味”で終わりました。
しかし、まさかこのわずか3日後に、
この日本がとんでもないことになろうとは...
この時には知る由もありませんでした。
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