『元旦』2015/01/01 11:08

皆様、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
m(_ _)m

正月返上で作業中。
っ〜か、今やらないと納期に間に合わないのです。
頑張ります。(^^)/

『貧乏暇なし』2015/01/11 22:44

新年早々、様々なライブの予定がいっぱい。
ありがたいことです。
(北島)健二さんは久しぶりだし、マック(清水)さんや、
(坂口)良治さんに誘ってもらうのは初めて。
『貧乏暇あり』は今までよくあったけど、(^^;)>
『貧乏暇なし』は初めてかもしれない。

まぁ〜3月にはまた暇になるでしょう…たぶん。
今年はツアーものをやりたいけどなー。
誰か誘ってくれないだろうか。

『止煙』2015/01/11 23:39

自分の場合禁煙ではなく止煙。
やはり血圧は下がりますね。
ただね、完全にタバコを辞める気はないんです。
吸いたい時に吸いたいから。
血圧とにらめっこしながら決めたいと思います。

健康に留意することは大事だけれども、
それ以上に、どうみても不健康なミュージシャンが、
同年齢の人達と比べて圧倒的に若々しいのはなぜか?
結局最後は、その人の考え方とか生き様が出るのだと思います。
もちろん健康面にもね。

『Live Information archives』2015/01/12 11:01

って感じで『Live Information』に、
判明している限りの過去(2002年以前)のライブデーターを、
加筆していきたいと思います。
http://www.ne.jp/asahi/akiraishiguro/homepage/Live-Information.html

まずは1988年。Zi Space(鳥山雄司BAND)時代のデーターです。
僕はオーディションに受かって参加することになりました。
後に『T-Square』に参加する本田雅人や、
元『Square』の清水永二、現『KENSO』の三枝俊治がいました。
8月7日の駒ヶ根のジャズ・フェス以前も、
六本木ピットインには出ているはずですが、
残念ながら記録がありません。

このバンドが無くなった後、和田(アキラ)さんと出会うまでは、
ライブハウスでの活動が1992年までストップしています。
その間に『郷ひろみ』さんのツアーとかに出ていましたね。
あ〜その前には『SHAMBARA』か。その話はいつかまた。
(『Casiopea』分裂劇の渦中にいたんですね)
『44Magnum』を解散したジミーの新プロジェクト『Topaz』を、
手伝ったりもしていました。アルバム二枚分付き合いました。
森園(勝敏)さんのプロデュースしていた、
『Grand Slam』のレコーディングや、
『Ellis』のライブ活動にも参加しました。
(この当時からロック系もフュージョン系もポップス系も、
別け隔てなく付き合っていました)
KORGのデモンストレータも相変わらずやっていたと思います。

でも、初期は本当に苦労が多かった。
(5年ぐらいまでの約10数年も苦労が多かったですが)
色々と挫折しては苦しんでいた状態でしたね。
和田さんに拾ってもらうまでは。

いずれにせよ、懐かしいですね。
続きはまた!(^^)/

(一部敬称略)

『Live Information archives』 22015/01/12 23:23

92年〜93年まで書き出しました。
http://www.ne.jp/asahi/akiraishiguro/homepage/Live-Information.html

いよいよ前年の『楽器フェア』で知り合った
和田(アキラ)さんとの蜜月時代が始まります。
(共にKORGのブースに出ていました)
当時、二井原実率いる『DED CHAPLIN』の
リズム隊でもあった、菅沼孝三&永井敏己を加え、
最初は『W.I.N.S』の結成という形で結実しました。
手数音数を極限まで増やし、変拍子やスリップビートてんこ盛りの、
テクニカルなプログレフュージョンといった趣のバンドでした。

93年は『聖飢魔II』で忙しかったせいか、
六本木ピットインには1回しか出ていなかったんですね。
聖飢魔IIの信者のみなさんがたくさん観に来ていました。
秘密だった正体は直ぐにバレてしまったんですねw

(一部敬称略)

『Live Information archives』 32015/01/13 23:25

そして94年。
http://www.ne.jp/asahi/akiraishiguro/homepage/Live-Information.html

この年で『聖飢魔II』を辞めました。
と同時に、自分のライブの観客動員数がガクッと落ちたのには、
さすがに苦笑しましたが、これもまた現実。
辞めた理由は色々とありましたが、
当時はサポートミュージシャンで終わろうとは、
全く思っていなかったことは事実です。
正直、ソロアーティストとして独り立ちしたかったのです。
そして自分のプロジェクト『Stone Logic』を始めました。
このユニットでNHKのFM番組『セッション94`』にも
出演しましたね。

この年以降、徐々にフュージョン化していきました。
正直、フュージョンミュージシャンとしては、
かなりインチキ臭かったですがw、
その筋のミュージシャン達との共演も増えていきます。

今でも”関西の兄貴”と慕っている『東原力哉』さんと、
初共演したのもこの年。
和田(アキラ)師匠とも様々な形で共演していきます。

『Live Information archives』 42015/01/15 00:41

そして95年。
http://www.ne.jp/asahi/akiraishiguro/homepage/Live-Information.html

それにしても、僕と和田(アキラ)さん、
永井(敏己)君の組み合わせの多いこと。
『W.I.N.S』ではドラムは菅沼孝三でしたが、
他のセッションでは神保彰、則竹裕之、山木秀夫と、
日本を代表するドラマー達が顔を揃えていました。
全体的には、やはりテクニカルな人達が多かったですね。

特に山木さんは強烈な印象が残っています。
何と言うか...宇宙に持っていかれるというか、
その凄さを言葉で説明するのが不可能なほど、
強烈なドラムでした。今でも凄いですけど。
私見ですが、本当に”天才”と言えるミュージシャンは、
日本では山木さんと矢野顕子さんだけだと思っています。

あと、すっかり忘れていましたが、
『KORE-悪魔 NIGHT』なんてあったんですね。(^^)
ライデン(湯沢)やルーク(篁)が、ジャズフュージョン系の
ライブハウスに出ていたなんて...結構レアですね。

また、六本木ピットイン主催の
『阪神大震災義援ライブ』に出たことを、
当時、とても誇らしく思ったのを記憶しています。

(一部敬称略)

『Live Information archives』 52015/01/16 22:57

そして96年。
http://www.ne.jp/asahi/akiraishiguro/homepage/Live-Information.html

相変わらず僕と和田(アキラ)さん、
永井(敏己)君の組み合わせの多いですね。
それにしても、この年で年間10本とは...少ない。
もっと色々とやってみたいのに、どうして呼ばれないんだろう…と、
当時とても不満だったのを記憶しています。
今となっては、その理由ははっきりしているのですがw、
それもいつか書きたいと思っています。
一言で言えば、まぁ〜自分が悪いんですね。
そして、この後どんどんド壺にはまっていきます。

この年は(渡辺)香津美さんを筆頭に、
布川(俊樹)さんや道下(和彦)君といった、
いわゆるジャズ系のギタリスト達と共演しているのも目立ちますね。
特に香津美さんと共演出来たことは、
若かりし頃からとても憧れていた存在だっただけに、
エポックメイキングな出来事でした。
お祝いに腕時計を買った記憶があります。

また、近年よく呼んでくれる松川(純一郎)との、
六ピでの初セッションは、この年だったんですね。
鳴瀬(善博)さん、(北島)健二さん、
亡くなられたジョニー(吉長)さんとは、
この時が初共演でした。

これ以降、自分のロック系セッションでは、
鳴瀬さんにお願いすることが多くなります。
「やるやるとは聞いていたけど、石黒やるなぁ〜」と、
この時、ニコニコしながら褒められたことが嬉しかったです。

『見に覚えあり(苦笑)』2015/01/17 17:13

http://ameblo.jp/cecilia311/entry-11978073271.html

Facebookで流れてきた記事なんだけど、
こういうの…思いっきりあります。
頼んでくる側に敬意もへったくれもなし。
こっちのライブにお金を払って一度も観に来たことないくせに、
こういう図々しいお願いしてくる人...いますね。

お遊びでやってるんじゃないんだよね。ホント。
大抵は頼んでくる側の無知と教養の無さに起因しているので、
仕方ないっちゃ〜仕方ないですが、それにしても酷い。
で、断るとむくれる。

んま、そういう相手は軽くスルーですけどね。

『Live Information archives』 62015/01/25 01:33

そして97年。
http://www.ne.jp/asahi/akiraishiguro/homepage/Live-Information.html

相変わらず僕と和田(アキラ)さん、
永井(敏己)君の組み合わせが多く、
このセットで(東原)力哉さんに呼ばれたりもしてます。
いわゆる”プログレ系”セッションマンとして、
ミュージシャン界では認知されていたんですね。

Casiopeaの野呂(一生)さんと初共演したのはこの年でした。
そして昨年に引き続き、(渡辺)香津美さんや
山木(秀夫)さんとのセッション。
まだ『SHOW-YA』に復帰していない頃の、
(寺田)恵子ちゃんもいますね。
彼女と初めて一緒に演ったのは、
是方(博邦)さんの池袋のアムラックスでのライブだったかな。
(日付は記録がないのでわかりません)

自分のオリジナルを演奏していた『Stone Head』や、
メタルカバーに特化した『METAL STONE』なんかも、
自分なりに一生懸命やっていました。
今と違って、資料の郵送がとても手間がかかって大変でした。
当時はインターネットはまだ普及していませんでしたから。

しかしこの後、徐々に失速していきます。
がむしゃらにやってはいましたが、結果が出ない焦りもあって、
いつもイライラしていましたね。