m(_ _)m ― 2011/10/07 21:12
いや〜Twitterに続いてFacebookまで始めちゃったもんだから、
すっかり更新がおろそかになってしまった。
とは言えど、写真のストックも多少あることだし、
少しずつ出していこうかとは考えております。
それにしても、これだけ更新していなくても、
ASAHIネットのアクセスランキングでは、
200位〜300位あたりを常にウロウロとしており、
「みんな見てくれているんだなぁ〜」と、ただただ感謝であります。
(22位になった時もあったっけなぁ〜)
ただ...『ブログ』というツールがこの先も必要かどうかは、
かなり微妙な感じでもあり、ちょい悩んでいるところ。
んまっ、あまり深く考えずにボチボチと書いていきますね。
年内は...(^^)
すっかり更新がおろそかになってしまった。
とは言えど、写真のストックも多少あることだし、
少しずつ出していこうかとは考えております。
それにしても、これだけ更新していなくても、
ASAHIネットのアクセスランキングでは、
200位〜300位あたりを常にウロウロとしており、
「みんな見てくれているんだなぁ〜」と、ただただ感謝であります。
(22位になった時もあったっけなぁ〜)
ただ...『ブログ』というツールがこの先も必要かどうかは、
かなり微妙な感じでもあり、ちょい悩んでいるところ。
んまっ、あまり深く考えずにボチボチと書いていきますね。
年内は...(^^)
『同窓会』Part1 ― 2011/10/07 21:24
今月末、高校の同窓会が卒業して以来33年ぶりにある。
(現段階では参加出来るかどうか未定だが、
一応、可能だったら行く方向で考えている)
今でこそ(経済的には恵まれている...とは言えないまでもw)
多くの楽しい友人達や理解者に恵まれ、音楽的には、
ほぼ理想的と言っていい環境を得ることが出来たが、
正直言って、中学以降の学生時代は自分にとっては大暗黒時代。
だいたい、世の中がまだまだ保守的だった70年代に、
「俺はロックミュージシャンになるんだ!」なんて
一人息巻いている時点で、社会的には完全にアウト。
性格も、群れるのが苦手で自意識過剰。自己顕示欲も暴走気味。
(「今でもそうだろ!」とか突っ込まないでねw)
勉強もスポーツも大して出来ず、女の子にもてることも無く、
同級生や不良達ともなじめず、周りから見ればただの変人。
今で言うなら『KY』。一昔前なら『おたく』。
80年代だったら『暗〜い』とか女の子から
言われちゃったりする感じか。(苦笑)
当然、高校時代も多少の友人はいたとはいえ、
そのエキセントリックな性格故、
基本的には周りからは敬遠され、浮きまくっていた存在。
(ちょっとした”虐め”も受けたりもした)
ただ、音楽だけは本当に好きで、それなりに真剣にやっていた。
皆が”コンパ”と称した飲み会で楽しくやっている中、
「家で練習したいから」と言って、よく途中で帰った。
(”コンパ”そのものが好きではなかった)
ロックミュージックへの偏見から逃れるために、
(今となっては、ただの子供じみた抵抗の仕方だが)
決してたばこは吸わなかったし、
授業も基本的には、ほとんど無遅刻無欠席を貫いた。
しかし、襟元正せど所詮変人は変人。(^^)
学校社会では”異形の者”であることに変わりはない。
ミュージシャンになる夢を標榜していても、
(んまっ、今となってはどうでもいいことだが...)
「石黒が”日本のキース・エマーソン”になるなら、さしずめ俺は弁護士だ」
と揶揄されたり、「四人囃子の○○さんと将来一緒にやるんだ!」
と言えば、「ギャッハッハッハッ」と大声で笑われたり...
いずれにせよ、疎外感や孤独感が常に支配的だった、
正に「暗〜い」(笑)我が学生時代だったのである。
(※この業界には似たような経験をしている者も少なくない)
Part2に続く。
(現段階では参加出来るかどうか未定だが、
一応、可能だったら行く方向で考えている)
今でこそ(経済的には恵まれている...とは言えないまでもw)
多くの楽しい友人達や理解者に恵まれ、音楽的には、
ほぼ理想的と言っていい環境を得ることが出来たが、
正直言って、中学以降の学生時代は自分にとっては大暗黒時代。
だいたい、世の中がまだまだ保守的だった70年代に、
「俺はロックミュージシャンになるんだ!」なんて
一人息巻いている時点で、社会的には完全にアウト。
性格も、群れるのが苦手で自意識過剰。自己顕示欲も暴走気味。
(「今でもそうだろ!」とか突っ込まないでねw)
勉強もスポーツも大して出来ず、女の子にもてることも無く、
同級生や不良達ともなじめず、周りから見ればただの変人。
今で言うなら『KY』。一昔前なら『おたく』。
80年代だったら『暗〜い』とか女の子から
言われちゃったりする感じか。(苦笑)
当然、高校時代も多少の友人はいたとはいえ、
そのエキセントリックな性格故、
基本的には周りからは敬遠され、浮きまくっていた存在。
(ちょっとした”虐め”も受けたりもした)
ただ、音楽だけは本当に好きで、それなりに真剣にやっていた。
皆が”コンパ”と称した飲み会で楽しくやっている中、
「家で練習したいから」と言って、よく途中で帰った。
(”コンパ”そのものが好きではなかった)
ロックミュージックへの偏見から逃れるために、
(今となっては、ただの子供じみた抵抗の仕方だが)
決してたばこは吸わなかったし、
授業も基本的には、ほとんど無遅刻無欠席を貫いた。
しかし、襟元正せど所詮変人は変人。(^^)
学校社会では”異形の者”であることに変わりはない。
ミュージシャンになる夢を標榜していても、
(んまっ、今となってはどうでもいいことだが...)
「石黒が”日本のキース・エマーソン”になるなら、さしずめ俺は弁護士だ」
と揶揄されたり、「四人囃子の○○さんと将来一緒にやるんだ!」
と言えば、「ギャッハッハッハッ」と大声で笑われたり...
いずれにせよ、疎外感や孤独感が常に支配的だった、
正に「暗〜い」(笑)我が学生時代だったのである。
(※この業界には似たような経験をしている者も少なくない)
Part2に続く。
『同窓会』Part2 ― 2011/10/08 20:27
今年は(震災直前)38年ぶりに小学校の同級生に会い、
とても楽しい時間を過ごすことが出来たが、
『同窓会』の類には過去3度?ほど参加したことがある。
(と言っても、最後は10数年前だが...)
これが、なかなかビミョ〜wな感じだった。
我々みたいな仕事をしていると、好むと好まざるとにかかわらず、
どうしても注目を浴び、色眼鏡で見られてしまう。
端くれとはいえ、一応”ショウビジネス”の世界に生きてきた手前、
多少目立ってしまうのは仕方がないにしても、
前述した通り〜の学生時代である。
中にはそれを面白く思わない者(まぁ〜大抵は男だが)もおり、
こっちの足を引っ張るが如く、昔の思い出したくもない、
こっちが顔をしかめてしまうような嫌〜な話を、わざわざ持ち出す。
まぁ〜華麗にスルーすれば済む話ではあるが、
あんまり気分の良いものではない。
以前、PRISMの和田(アキラ)さんも、
『同窓会に行ったらさぁ〜、「お前まだギターなんか弾いているのか」
なんて言われちゃったよ』と嘆いていたが、
出来れば今後は、そんな目には遭いたくないものである。
(まぁ〜行けたとしても、今回が最後になるとは思うが)
ちなみに、その高校の同窓会のHPが立ち上げられており、
自分のHPがリンク先に紹介されていた。しかも無断で...(T_T)
(他の同級生のリンク先には、ちゃんと許可を取ったらしい)
もちろん削除要請する気なんか更々無いけど...
ねっ?何だか既にビミョ〜wな感じでしょ?(^^)
とても楽しい時間を過ごすことが出来たが、
『同窓会』の類には過去3度?ほど参加したことがある。
(と言っても、最後は10数年前だが...)
これが、なかなかビミョ〜wな感じだった。
我々みたいな仕事をしていると、好むと好まざるとにかかわらず、
どうしても注目を浴び、色眼鏡で見られてしまう。
端くれとはいえ、一応”ショウビジネス”の世界に生きてきた手前、
多少目立ってしまうのは仕方がないにしても、
前述した通り〜の学生時代である。
中にはそれを面白く思わない者(まぁ〜大抵は男だが)もおり、
こっちの足を引っ張るが如く、昔の思い出したくもない、
こっちが顔をしかめてしまうような嫌〜な話を、わざわざ持ち出す。
まぁ〜華麗にスルーすれば済む話ではあるが、
あんまり気分の良いものではない。
以前、PRISMの和田(アキラ)さんも、
『同窓会に行ったらさぁ〜、「お前まだギターなんか弾いているのか」
なんて言われちゃったよ』と嘆いていたが、
出来れば今後は、そんな目には遭いたくないものである。
(まぁ〜行けたとしても、今回が最後になるとは思うが)
ちなみに、その高校の同窓会のHPが立ち上げられており、
自分のHPがリンク先に紹介されていた。しかも無断で...(T_T)
(他の同級生のリンク先には、ちゃんと許可を取ったらしい)
もちろん削除要請する気なんか更々無いけど...
ねっ?何だか既にビミョ〜wな感じでしょ?(^^)
うわっ! ― 2011/10/09 10:28
書くとランキング順位が如実に上がる。(^^)
現在144位!
みんな、見てくれているんだね。ありがとう。
m(_ _)m
現在144位!
みんな、見てくれているんだね。ありがとう。
m(_ _)m
『帰ってきた石黒ちゃん祭り!』@経堂さばの湯 ― 2011/10/12 00:39
http://slowcomedy.exblog.jp/16263528/
去る9月17日に、去年の『石黒ちゃん祭り』にも出演してくれた、
ソプラノ歌手の半田美和子さんと、
ある意味”実験的”なライブを、経堂の『さばの湯』でやった。
選曲はメタリカ、ラフマニノフ、ハービーハンコック、武満徹、エルビスコステロ、プッチーニ、ピーターガブリエル、ヘンデル、
中田喜直、プーランク、童謡etc...という、実に節奏の無い選曲。
その節奏の無さとは裏腹に、どの曲でも常に彼女の歌は素晴らしく、
特にメタリカの『Nothing Else Matters』は鳥肌が立つほどで、
その歌に目頭を熱くするお客さんもいたほどだ。
小さな規模の小さなライブだったが、
第一歩としては、なかなか充実した内容だったと思う。
今回、特にラフマニノフの『Vocalise』のアレンジには苦労したが、
その分色々と発見もあり、とても勉強になった。
ハーモニーの流れの複雑さからすると、事実上コード解析は不可能。
結果、コード表記と書き譜の混在する譜面になってしまい、
演奏上も、譜面演奏と即興演奏が所々入れ替わって出てくるという、
実にまか不思議な演奏スタイルとなってしまったが、
とてもユニーク且つ斬新な感じで出来たと思う。
また、ちょっと文面からだとわかりにくいかもしれないが...
原譜に書かれている小節線の入れる場所やリズム表記が、
我々の解釈と大きく違っており、すべてを翻訳して書き換えないと、
最初は全く手が出なかった。
例えて言うと、文章における句読点の場所が違うと、
簡単な文章でもいきなり読みにくくなったり、
言葉のイントネーションが違ったりすると、
意味をとらえづらい...といった感じだろうか。
(まぁ〜この辺はジャンルが違うので仕方ない部分ではあるが)
いずれにせよ、この歳になっても新しい発見や
チャレンジが出来るというのは実に幸せなこと。
半田さんとのコラボレーションも継続する予定で、
次回は、より充実した内容をお届けできるよう、頑張りたいと思う。
(半田美和子さんのHPはこちら→http://miwako-handa.jp/)
去る9月17日に、去年の『石黒ちゃん祭り』にも出演してくれた、
ソプラノ歌手の半田美和子さんと、
ある意味”実験的”なライブを、経堂の『さばの湯』でやった。
選曲はメタリカ、ラフマニノフ、ハービーハンコック、武満徹、エルビスコステロ、プッチーニ、ピーターガブリエル、ヘンデル、
中田喜直、プーランク、童謡etc...という、実に節奏の無い選曲。
その節奏の無さとは裏腹に、どの曲でも常に彼女の歌は素晴らしく、
特にメタリカの『Nothing Else Matters』は鳥肌が立つほどで、
その歌に目頭を熱くするお客さんもいたほどだ。
小さな規模の小さなライブだったが、
第一歩としては、なかなか充実した内容だったと思う。
今回、特にラフマニノフの『Vocalise』のアレンジには苦労したが、
その分色々と発見もあり、とても勉強になった。
ハーモニーの流れの複雑さからすると、事実上コード解析は不可能。
結果、コード表記と書き譜の混在する譜面になってしまい、
演奏上も、譜面演奏と即興演奏が所々入れ替わって出てくるという、
実にまか不思議な演奏スタイルとなってしまったが、
とてもユニーク且つ斬新な感じで出来たと思う。
また、ちょっと文面からだとわかりにくいかもしれないが...
原譜に書かれている小節線の入れる場所やリズム表記が、
我々の解釈と大きく違っており、すべてを翻訳して書き換えないと、
最初は全く手が出なかった。
例えて言うと、文章における句読点の場所が違うと、
簡単な文章でもいきなり読みにくくなったり、
言葉のイントネーションが違ったりすると、
意味をとらえづらい...といった感じだろうか。
(まぁ〜この辺はジャンルが違うので仕方ない部分ではあるが)
いずれにせよ、この歳になっても新しい発見や
チャレンジが出来るというのは実に幸せなこと。
半田さんとのコラボレーションも継続する予定で、
次回は、より充実した内容をお届けできるよう、頑張りたいと思う。
(半田美和子さんのHPはこちら→http://miwako-handa.jp/)
『ボランティア@山元町』Part1 ― 2011/10/21 17:06
制作費40億円のチャリティー番組で集めた寄付金が2億円...(T_T)
なんて話がちょっと前にあったが、それはともかく(^^)、
今を去ること(またかい!)5月26日。
前述のソプラノ歌手『半田美和子』さんに誘われて、
宮城県の山元町という所にボランティアで演奏してきた。
同行したのは、半田さんの友人で同じく歌手の渡辺恵津子さん。
そして発起人であり、ホリプロのアナウンサーの田添菜穂子さん。
(現在、朝日ニュースターの『宮崎哲弥のトーキング・ヘッズ』
にレギュラー出演中)
仙台まで新幹線で行き、そこからレンタカーを借りて南下。
福島県との県境に位置する山元町へ向かった。
仙台市内では、ほとんど震災の爪痕を感じることはなかったが、
高速(東部道路)を走っている内、徐々に津波の被害を受けた地域が
車のガラス越しに迫ってきた。
丁度、高速が防波堤代わりになったのか、
海側と山側では景色がずいぶんと異なる。
5月末ということで、ある程度瓦礫は片づけられていたとはいえ、
見たこともない凄まじい光景だったことには変わりはない。
最初は車内で和気藹々としゃべっていた我々も、
その景色に徐々に沈黙していくしかなかった。
なんて話がちょっと前にあったが、それはともかく(^^)、
今を去ること(またかい!)5月26日。
前述のソプラノ歌手『半田美和子』さんに誘われて、
宮城県の山元町という所にボランティアで演奏してきた。
同行したのは、半田さんの友人で同じく歌手の渡辺恵津子さん。
そして発起人であり、ホリプロのアナウンサーの田添菜穂子さん。
(現在、朝日ニュースターの『宮崎哲弥のトーキング・ヘッズ』
にレギュラー出演中)
仙台まで新幹線で行き、そこからレンタカーを借りて南下。
福島県との県境に位置する山元町へ向かった。
仙台市内では、ほとんど震災の爪痕を感じることはなかったが、
高速(東部道路)を走っている内、徐々に津波の被害を受けた地域が
車のガラス越しに迫ってきた。
丁度、高速が防波堤代わりになったのか、
海側と山側では景色がずいぶんと異なる。
5月末ということで、ある程度瓦礫は片づけられていたとはいえ、
見たこともない凄まじい光景だったことには変わりはない。
最初は車内で和気藹々としゃべっていた我々も、
その景色に徐々に沈黙していくしかなかった。
『ボランティア@山元町』Part2 ― 2011/10/22 00:08
山元町に着いて、まず向かったのは『深山山麓少年の家』。
この日は特に快晴だったということもあったが、
さっきまで見ていた光景が目と鼻の先にあるとは到底思えない、
山沿いにある新緑に囲まれた、実に静かで平和な場所だった。
ここで若いお母さん達&未就学児達を相手に、
まず田添さんが絵本の読み聞かせをした後、
9曲ほどのミニコンサートを行った。
半田さん、渡邊さんの美しい歌声が響き渡る。
(中には涙を流している方もいた)
実は、この若いお母さん達の集まりは、
以前から週一で催されていたのだが、震災で一時ストップ。
そして、今回が再開第一回目となった訳だが、
参加者の方々の中には被災した方々も...
また、代表を務めていたお母さんは、
今回の津波で流され亡くなっている。
平和な光景とは裏腹な、過酷な現実。
加えて、この地は福島との県境ということもあって、
当然放射線量の値も東京よりは高い。
無邪気に走り回る子供達を見ながら、
己の無力さに打ちひしがれる。
この日は特に快晴だったということもあったが、
さっきまで見ていた光景が目と鼻の先にあるとは到底思えない、
山沿いにある新緑に囲まれた、実に静かで平和な場所だった。
ここで若いお母さん達&未就学児達を相手に、
まず田添さんが絵本の読み聞かせをした後、
9曲ほどのミニコンサートを行った。
半田さん、渡邊さんの美しい歌声が響き渡る。
(中には涙を流している方もいた)
実は、この若いお母さん達の集まりは、
以前から週一で催されていたのだが、震災で一時ストップ。
そして、今回が再開第一回目となった訳だが、
参加者の方々の中には被災した方々も...
また、代表を務めていたお母さんは、
今回の津波で流され亡くなっている。
平和な光景とは裏腹な、過酷な現実。
加えて、この地は福島との県境ということもあって、
当然放射線量の値も東京よりは高い。
無邪気に走り回る子供達を見ながら、
己の無力さに打ちひしがれる。
『ボランティア@山元町』Part3 ― 2011/10/22 18:03
そして『深山山麓少年の家』を後にした我々は、
避難所にもなっている『山元町役場』へ。
白いテント村や、食事用の大きな釜が目を引く。
まず最初に、田添さんの東北放送時代の上司だった
高橋厚さんがDJを勤める山元町のコミュニティーFM
『りんごラジオ』に僕を除いた3人で御出演。
ここから様々な情報を町民に向けて流しているらしい。
(http://ringo-radio.cocolog-nifty.com/)
そして、この避難所の方々に集まっていただき、再びミニコンサート。
『深山山麓少年の家』に比べて年齢層も高めだったが、
大勢集まっていただいて、なかなかの盛況ぶり。
最後に、田添さんからいきなりマイクを向けられ、
コメントを求められたのには正直あせったが(^^;)、
素直な胸の内を、包み隠さずお話させていただいた。
こうして(かなり駆け足だったが)
初めての被災地訪問〜ボランティア活動は無事に終わった。
(写真:左より高橋さん、田添さん、半田さん、渡邊さん)
避難所にもなっている『山元町役場』へ。
白いテント村や、食事用の大きな釜が目を引く。
まず最初に、田添さんの東北放送時代の上司だった
高橋厚さんがDJを勤める山元町のコミュニティーFM
『りんごラジオ』に僕を除いた3人で御出演。
ここから様々な情報を町民に向けて流しているらしい。
(http://ringo-radio.cocolog-nifty.com/)
そして、この避難所の方々に集まっていただき、再びミニコンサート。
『深山山麓少年の家』に比べて年齢層も高めだったが、
大勢集まっていただいて、なかなかの盛況ぶり。
最後に、田添さんからいきなりマイクを向けられ、
コメントを求められたのには正直あせったが(^^;)、
素直な胸の内を、包み隠さずお話させていただいた。
こうして(かなり駆け足だったが)
初めての被災地訪問〜ボランティア活動は無事に終わった。
(写真:左より高橋さん、田添さん、半田さん、渡邊さん)
『ボランティア@山元町』Part4 ― 2011/10/24 20:04
3月11日の震災以降、我々ミュージシャン界でも、
被災地を救おうと様々な動きがあった。
チャリティーライブで寄付金を集めたり、
曲を集めて配信し、寄付金に還元したり...
自分のやったことと言えば、チャリティーライブに参加したり、
お米を送ったりしたが(そのどれもが何もやらないよりましとはいえ)
正直言って、良いとか悪いとかいう話ではなく、
”ボランティア”という実感をイマイチ得ないモノだった。
また「音楽で元気や希望を被災地に送る」とか、
「自分達はミュージシャンなんだから音楽で云々...」とか、
様々なスローガンが一時氾濫していたが、
ど〜にも自分には合点のいかないモノが多かった。
まぁ〜誰もが知っているメジャーなアーティストが
チャリティーをやるのなら”集金”という点では即効性があると思うが、
そうでないアーティストの場合は四の五の言わず、
緊急時の場合は現金を送った方が早いし現実的だ。
音楽は人を選ぶが、お金は人を選ばない。
ただ、気持ちの面で言えば(僕自身も含めて)、
きっと皆、何かを被災地のためにしたかったんだと思う。
そして、ある意味”証”が欲しかったんだと思う。
そういった点で、今回”ボランティア活動”という実感を、
初めて僕に持たせてくれた山元町の皆さんには、心から感謝している。
実際、温かくて楽しいライブも出来たと思う。
本当にありがとうございました。
m(_ _)m
被災地を救おうと様々な動きがあった。
チャリティーライブで寄付金を集めたり、
曲を集めて配信し、寄付金に還元したり...
自分のやったことと言えば、チャリティーライブに参加したり、
お米を送ったりしたが(そのどれもが何もやらないよりましとはいえ)
正直言って、良いとか悪いとかいう話ではなく、
”ボランティア”という実感をイマイチ得ないモノだった。
また「音楽で元気や希望を被災地に送る」とか、
「自分達はミュージシャンなんだから音楽で云々...」とか、
様々なスローガンが一時氾濫していたが、
ど〜にも自分には合点のいかないモノが多かった。
まぁ〜誰もが知っているメジャーなアーティストが
チャリティーをやるのなら”集金”という点では即効性があると思うが、
そうでないアーティストの場合は四の五の言わず、
緊急時の場合は現金を送った方が早いし現実的だ。
音楽は人を選ぶが、お金は人を選ばない。
ただ、気持ちの面で言えば(僕自身も含めて)、
きっと皆、何かを被災地のためにしたかったんだと思う。
そして、ある意味”証”が欲しかったんだと思う。
そういった点で、今回”ボランティア活動”という実感を、
初めて僕に持たせてくれた山元町の皆さんには、心から感謝している。
実際、温かくて楽しいライブも出来たと思う。
本当にありがとうございました。
m(_ _)m
『都立府中東高校5期生同窓会』 ― 2011/10/31 13:06
という訳で、前述した高校の同窓会に行ってきた。
場所が立川ということで、
かつて実家のあった高幡不動経由でモノレールに乗り換え、
1時間半ちょい遅れで会場に到着。
高校卒業以来33年ぶりにして第一回目の同窓会ということで、
約150名の参加者で溢れかえっていた。
大勢の同級生から声を掛けられたが、
見覚えのある人から、全くわからない人まで様々。
全体的には当然と言えば当然だが、
「あ〜年取ったなぁ〜」という感じか。
一般社会?ではあたりまえかもしれないが、
男性陣は頭髪の後退や体重の増加による体形の変化が、
その年月を感じさせる。
女性陣の中には「51歳にしてあの美貌を維持しているのは凄い!」
と思わせてくれる綺麗どころもちらほら。
自分が昔好きだった”あの娘”や”あの娘”も(^^)相変わらず美しかった。
ただ、堅気?の人々が大多数を占めるこの状況下に、
自分の生きている世界との、あまりの空気感の違いに少し戸惑う。
やはり、自分は彼らとは異質の存在であることに、
今も昔も変わらないらしい(苦笑)。
まぁ〜それにしても、なかなか楽しい同窓会だった。
懐かしい面々と色々と話せたし、
自分が初志貫徹してミュージシャンになったことを、
多くの同級生が評価してくれていたのは素直に嬉しかった。
幹事会の方々もお疲れ様でした&ありがとうございました。
m(_ _)m
場所が立川ということで、
かつて実家のあった高幡不動経由でモノレールに乗り換え、
1時間半ちょい遅れで会場に到着。
高校卒業以来33年ぶりにして第一回目の同窓会ということで、
約150名の参加者で溢れかえっていた。
大勢の同級生から声を掛けられたが、
見覚えのある人から、全くわからない人まで様々。
全体的には当然と言えば当然だが、
「あ〜年取ったなぁ〜」という感じか。
一般社会?ではあたりまえかもしれないが、
男性陣は頭髪の後退や体重の増加による体形の変化が、
その年月を感じさせる。
女性陣の中には「51歳にしてあの美貌を維持しているのは凄い!」
と思わせてくれる綺麗どころもちらほら。
自分が昔好きだった”あの娘”や”あの娘”も(^^)相変わらず美しかった。
ただ、堅気?の人々が大多数を占めるこの状況下に、
自分の生きている世界との、あまりの空気感の違いに少し戸惑う。
やはり、自分は彼らとは異質の存在であることに、
今も昔も変わらないらしい(苦笑)。
まぁ〜それにしても、なかなか楽しい同窓会だった。
懐かしい面々と色々と話せたし、
自分が初志貫徹してミュージシャンになったことを、
多くの同級生が評価してくれていたのは素直に嬉しかった。
幹事会の方々もお疲れ様でした&ありがとうございました。
m(_ _)m
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